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ニューヨーカー未満のNYスケッチブック

 写真家ねおゆうきのライフログ。NYの街、子育て、日々のこと。

自分のことを少し。(ニューヨーカー未満なワケ)

先週、9/11の同時多発テロから13周年を迎えたニューヨーク。今年もワールドトレードセンター跡地でセレモニーが行われ、その生中継を、家族が出払ったあとの1人の部屋で見守りました。8時46分、静かな鐘の音に始まり、1分間の moment of silence(黙祷)。毎年、それに続いて犠牲者の方の名前がひとりひとり、ゆっくりと読み上げられていくのですが、永遠と続くその時間に、犠牲者の方々のその数の多さを思い知らされます。

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前にも書いたことがあるのですが、ワールドトレードセンターには特別な思いがあります。まだ独身だった20代後半の頃、新卒で勤めていた会社を辞めてシカゴに大学院留学し、卒業後、ニューヨークの日系広告代理店D社で働きました。その頃住んでいたのがワールドトレードセンターから徒歩5分のバッテリーパークシティと呼ばれるエリア。最寄駅のワールドトレードセンターから、地下鉄で毎日ミッドタウンにある会社まで通っていたので、ワールドトレードセンター内のいつも通り抜けた通路、寄り道したショップなど今も記憶に残っています。そのワールドトレードセンターがあんな形で視界から消えてしまった日は、その消え行く衝撃的な姿に怯えて泣く幼い我が子を抱きしめながら、当時住んでいたロングアイランドの家のTVの前で、私も震えを押さえられずに泣ました。そんなことを回想しながら、またこうして9/11のセレモニーをニューヨークで見ている自分。ニューヨークとの不思議な縁を感じないではいられません。

人生の伴侶と出会ったのもニューヨークでした。日系のメーカーに勤務しニューヨーク駐在3年目だった彼は、出会ったときには、すでにその半年後の日本帰任が決まっていました。仕事をとるか、彼をとるか。人生は常に選択の連続。当時、日本人だからということで全米の日本人マーケットを担当して、日本語メディアに掲載する小さな広告制作などの仕事を与えられていた私は、「広告をやるなら日本でやったほうがきっと面白い。もっとメジャーなことができるから。」と仕事上のもっともらしい理由をつけて、彼の後を追いました。その理由はウソではなかったけれど、世界一エキサイティングな街で働くチャンスをせっかく掴んだというのに、わずか1年やそこらで帰国してしまった私。あのとき恋に目がくらんでいなければ、今頃は一人前のニューヨーカーとなってマンハッタンを闊歩していたかもしれない、と『かもしれない』自分を今も時々夢想します(笑)。

ニューヨーカー未満だと思うのはそれゆえで、志半ばでニューヨークを去ってしまったし、その後、夫婦になってから30代で1回、40代で2回目(今回)のニューヨークでの駐在生活を送ることになったのですが、僅かながらも会社から家賃や教育費、医療保険の補助を受けて会社に守られている駐在員には、現地で暮らす本当の厳しさなど絶対わかり得ないと、ニューヨークで働いたほんの僅かな経験から思うのです。なんとなくお客さん的な引け目を感じて、胸を脹れないというか。ましてやその妻、駐在員に帯同しているいわゆる『駐妻』ともなると、ますます依存した人のようで(まあほぼ事実ですが)、その呼称は自嘲的に使うことも多々あれど、私にとっては心地のいいものではありません。そんなわけで、何年住んでも、どんなに土地に馴染んでもニューヨーカーにはなりきれない気がするのです。しかも住まいはロングアイランド。忙しい子供たちのお世話でしゃかりきになっている自分は、ニューヨークの最新情報にも疎いですし。

でも、そんなニューヨークと私の関係ですが、これほど縁のあるニューヨークなので、第2の故郷くらい大好きです。いつか駐在生活が終わって日本で暮らすようになっても、ダンナを置いて(あ、ダンナにはもちろん感謝していますよ)ニューヨークと日本の間を行ったり来たりできるくらいのオバちゃんになっていたいと思います。こう見えてもニューヨーカーの端くれよ、と胸を張って言ってみたい。そんな野望をそっと胸に秘めながら日々の暮らしに追われる私です。

 

 

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