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ねおゆうきの日々のメモ

自分のことを、もう少し。(スロー・フォトグラファーとして)

好きでやっていたら、もっともっとやりたくなって、写真を本格的にやるようになりました。ニューヨークに来る前は、想像もしていなかった方向への転換。でも、人生、思い切って意外な方向に振ってみるのも面白いかもしれないと思ってます。

フォトグラファーもピンキリと言えど、その道まだまだ発展途上の私。そんな自分を表す形容詞がないかな〜、などと考えました。で、「スロー・フォトグラファー」と言ってみたら、なんだか自分的にはしっくり。勝手につくった造語ですが、奥手な自分とスローライフのコンセプト(一時ほどは耳にしなくなりましたが、今もコンセプトは生きてますよね?)がリンクして、毎日の普通の生活を大事にしながら、写真というライフワークをゆっくりと開花させたいな、と、そんな思いを抱いている今の自分を、うまく言い当てている気がしています。

どうでしょう?これで私、セルフ・ブランディングできるかな(笑)。

でも、こんなふうな気持ちに至るまでに、かなり迷いもありまして。今日は、ちょっと恥ずかしいけど、ここに至るまでの自分のことを振り返ってみようかな、と思います。

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今回夫の転勤で渡米する前は、私は外資系広告代理店の営業として働くワーキングマザーでした。若い頃からキャリア志向が強くて、新卒で入った会社を5年で辞め、シカゴにあるノースウエスタン大学の現IMC (Integrated Marketing Communications) というマスタープログラムに留学。そこで Integrated Marketing Communicationsという概念を初めて学び、それを生かせるところと考えて広告代理店に再就職しました。以降広告業界で営業として働くこと通算12年。外資系クライアントを担当して、コミュニケーション戦略やクリエイティブの開発などの指揮を取るのが仕事でした。夫の転勤や子供の出産などによるブランク時期も経て、下の子が3才になったときに同じ畑に復帰。12年間のおよそ半分は働く母として頑張りました。ここまで書くと、まるでバリキャリのようにも聞こえるかもしれませんが、本当はそんな人じゃないことは、私を知る方はお分かりかと思います。

広告代理店での仕事は楽しかったです。もともとビジュアル・コミュニケーションが好きで、人の心に働きかけて、世の中に動きを作ることにやりがいを感じていました。ただ、常に締め切りに追われる仕事で残業が半端でなく、子供たちは保育園・学童・ベビーシッター・実家を駆使して預けっぱなしの毎日。「ママまだ会社?」の子供から電話に「もうすぐ帰るから」の答えがウソになって、深夜タクシーで帰宅すること度々。子供たちは、私の口から仕事の「し」の音が出たとたんに悲しい顔をしました。こんな状態で大丈夫なのか?と不安にかられながらも、立ち止って考える余裕もなく、ひたすら走り続けていました。だから、今回のNYへの転勤は、神様からの『止まれ!』のサインだったんだな、と思います。

仕事が『強制終了』となったことで、正直ちょっとホッとした部分もあり、これを機に子供との向き合う時間もしっかり持とうと心に誓いました。そして、自分の今後の身の振り方はゆっくり考えればいい、と。

そしてアメリカに来て、ずっと家にいるお母さんになりました。子供たちが新しい環境に慣れるまでの泣きたくなるほど大変だった時期も、慣れて様々なアクティビティに参加するようになってからも、そばにいてあげらる自分でよかったと思います。今は「その時」だと思っているし、子供たちも、いつも母親が陰で見守っていて、いざというときにはすぐ助けに来てくれると思うことで、安心して伸び伸びと、そして困難にも立ち向かいながら海外での生活ができてるんじゃないかな、と思うから。

でも、いつかそんな子供たちも巣立っていく日が必ず来ます。その時に自分を見失わないように、自分の世界は常に持っていたい。だから次の自分のゴールをちゃんと見据えて、今できることを少しずつやらなきゃ、と思っていました。代理店時代に叩き込まれた、"Be proacitive!"(先手先手に行動せよ!)ってやつです。

ところが、じゃあ何する?と考え始めると、答えが見えない。もうガムシャラな働き方はやめようと思っていたし、その頃、父を亡くした経験も影響して、「人生に何を残すか?」みたいなテーマを意識するようになりました。過去のキャリアの延長線上で答え探しをするのですが、あんなに一直線にやってきたことなのに、その先に自分の行き先が見えない。でも今まで一所懸命に力を注いできたことをあっさり捨てることもできない。そんな迷いと焦りの迷宮にハマって一歩も踏み出せず、自信がシュルシュルと縮んでいきました。挙げ句の果てに、夫相手にこんな風にブチ切れてしまったことも。

「私はこれまで自分が積み上げてきたものをゼーンブ捨てて、ここで家族のために尽くしているのにーっ!!」

それでもいいと覚悟してNYに来たはずなのに、被害者みたいに八つ当たりしている私。自分がほとほとイヤになりました。 

そんなモヤモヤの時期を経て、あるとき急に吹っ切れたのです。

 (またイチから積んでいくしかないよ。)

実は、写真をモノにできたらなあ、と思っていました。写真は好きで、まだフィルムが主流の頃から一眼をいじっていたのですが、仕事が忙しくなるとカメラに触れることもなくなっていました。NYに来て、ひとつくらい自分の好きなことしようかな、とまた再開。カメラを持つと楽しくて、いくらでも時間を忘れて没頭してしまいました。唯一、自分を取り戻せる時間。幸福感が高まるから家族にも優しくなれる(コレ大事)。そんな自分に驚きました。会社を辞めて、組織を離れた自分がいかに非力でタダの人かということも思い知ったので、組織に所属しないでも自立できるスキルがほしい、とも思っていました。写真学校の女性インストラクターにもインスパイアされて、趣味のレベルを脱したいという思いがますます強くなり。でも、「えっ、そっち行くの?大丈夫?」と勇気のないもう1人の自分が、ブレーキを掛けていた。

でもふと気がついたのです。そういえば、私って小さい頃、家で絵を描いたり、詩や物語を書いたりするのが好きな子だった。家にあった百科事典の美術の巻を手にとって、そこに描かれた絵画に見入る、みたいなことを飽きもせずにしていたなあ。

もしかしたら写真に惹かれているのは、自分の本質が反応してるのかも。そして、これまで走り続けてきた自分は、そんな内向的な自分が嫌で変えたくて、理想の自己実現のために目いっぱい背伸びして、ストレッチして、作り上げた自分だったのかなー、と。(本当は、人の話は聞いてるほうが好きで、プレゼンも営業も大の苦手だったのに。)

結局は、自分の本質って変わらないのかー、あんなに頑張ったのに。そう思うとなんだか可笑しくて、背伸びしていた自分が愛おしくなって、もう緩めていいよ〜、と自分に言ってやりたくなりました。人間ずっとストレッチは続きません。反動で元に戻したくなって当たり前。長いこと作り上げた自分をやっていたので、本来の自分のことなど忘れてしまっていたのでした。

神様から『止まれ!』サインを頂いたおかげで、心地のいい自分のままでいいんじゃない?と思えるようになりました。「こうしてきたから、こうしなければ」とか「このためには、これをしなければ」とか、頭で考えるの、もうやめます。自分の直感を大事にして、そして何気ない日常にも、美しい光や空気、一生懸命生きている生命や、素敵な瞬間がいっぱいあることに気づく心を持ち続けたい。そして、そこに自分がいる偶然に感動できる自分でありたい。そんなことを写真に表現して、誰かの心に語りかけたり、フワッと気持ちを軽くしてあげることができたら幸せかな。そうやって『人との心の絆』を人生に残していくことができれば、私の人生は少しは意味のあるものになるかもしれない、と思うのです。

.....そんなふうに行動し始めたら、どんなことが起こるかしら。これからの自分を待ち構えている変化が、今はちょっと楽しみだったりしています。

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