命の日
日本滞在、中2日のトンボ返り。 病み上がりで、体調がちょっと心配だったけど、 日本の桜を見たら、一気に元気回復しました。 法事の後、横浜公園で見た桜。華やか。
法事には遠方の親戚も来てくれて、父も喜んだことと思う。 父は男5人、女3人の8人兄弟姉妹の次男で、 そのうち、父を含む5人がここ数年の間に相次いで他界。 随分、淋しくなってしまった。 末っ子のおじちゃんが、 テーブルの上に飾ってあった父の写真を自分のほうに向け、 父とさしで語り合うかのようにビールを飲み始めた。 「つながりを大事にしよう、って思うようになったわ。」 と柔らかに語った二番目のおばさん。 ひとり、またひとりと旅立っていくにつれ、 地上に残された血の繋がるもの同士の絆が愛おしく思え、 より太くなっていくような、そんな気がした三回忌でした。
そして、私はといえば、 いつまでも父の死を受け入れられず、いつまでもメソメソしていたのだけど、 2年経ってやっと、父はいつも傍にいる、と思えるようになった。 父の遺伝子を受け継いだ自分の中に、父のスピリットは生きていて、 子供たちにも受け継がれて、ずっといつも一緒にいるんだな、と。 でも、未だに悔やまれてならないことがいくつもあって、 悔いは悔いとして、消えることはなさそうだ。 その悔いのひとつひとつを、ここにぶちまけて、 自分の思いを、ここに吐露してしまおうかと思ったけれど、 そんなことしても、もう過去は変えられないものね。 悔いは静かに自分の胸の奥にしまって、未来を変えていくしかないわ。 天国の父が安心して見守っていられるように、 父に喜んでもらえるような生き方をしなくては。 そう、まずは父が誰よりも心配してくれた我が子たちを、しっかりと育てあげ、 そして、父の強さと優しさを、子供たちに繋いでいくことが、今の私の使命。 父の命日に、そんなことを改めて誓った私でした。
ところで「命日」って、命のことをいっぱい考えるから「命の日」=「命日」? 本来の由来は違うかもしれないけど、私的には、そういうことにしておこう。