白い紫陽花のように。
今日の記事、本当は母の日に書きたかったんですが。
バタバタしているうちに、またブログから遠ざかってしまい、早や6月になってしまいました。いつもながら、後手後手だあ...。(毎日ブログ更新される方、本当に尊敬します。)
いつも犬を散歩させる通りに咲き乱れた、真っ白でまんまるの紫陽花。
白い紫陽花の花言葉、「寛容」だそうです。
ちょっと調べてみたら、紫陽花には色々な花言葉があるんですね。「移り気」(色が変わっていくから)、というのがまず頭に浮かぶと思いますが、他にもこんなのが。
・元気な女性(色んな色があって華やかだから)
・辛抱強い愛情(雨の季節も耐えるように咲き続けるから)
・家族の結びつき(小さな花びら(萼)が密集して一つになっているから)
母親にぴったりな花言葉ではありませんか。知らなかった。
今日、ぜひシェアしたかったこと。
母の日に、お友達のAさんがFacebookに投稿していたお話です。感動してしまいました。
Aさん、そのまま引用させていただきますね。
勉強出来ず運動出来ず…のわが息子。だけどこの子にはとてもかなわない、と思う。
土曜日、とても肌寒い朝、ボランティアの募集があり、ボーッと週末を過ごすよりは、と思って強引に参加させました。海岸のごみ拾い。結局誰も来なくてボランティアを取り仕切る方と2人だけだったみたい。本当に寒くて街にも人通りも少なく、1人だと連絡を受けたのでさすがにちょっとかわいそうになって「もう帰る?」と聞いたら「まだやるよ」と。結局4時間弱、寒い中黙々とごみ拾いをやり遂げました。
勉強出来ず運動出来ず、のダメダメ息子。だけどその人間性を見てくれる人たちにこれから出会えたらいいな、と思う親心です。
4時間も寒い中、たった1人でやり遂げるなんて。なんて立派なんでしょう!うちはボランティアもさせていないし、1人だったら絶対やめるって言うだろうな。本当に偉い!と思いました。
そして、その息子さんの人間性を見てくれる人たちに出会えたらいいな、と思う親心、とても分かる。うちの息子もダメダメくんだから。
いえいえ、Aさんの息子さん、全然ダメダメなんかじゃないし、本当はAさんだって息子さんのことを決してダメダメだとは思ってないはず。私もうちのダメダメくんを真底ダメだとは思ってないですよ。ただ他から見て、分かりやすくて比較しやすい勉強とかスポーツとかでは、なかなか強みを発揮できないだけ。ま、ウチの場合は問題がソコだけじゃないので正直そんなふうには割り切れず、つい、ダメだなあ、将来大丈夫かなあ、と思ってしまうんですが。
でも、このAさんの息子さんのように、決めたことはどんな悪条件の中でもちゃんとやり遂げる。これって人間としてすごい強みですよね。こういう人が少しずつその強みを積み上げたら、とても大きな力にきっとなる。親はその「きっと」を信じて、そしてその力を認めて受け入れてくれる人との出会いを願って、そっと見守っていくしかないのですよね。
うちの息子も勉強が苦手・運動オンチ。前に書いたように、場面緘黙症で対人恐怖症の上に、実は学習障害もちょっとある。そんなハンディがあるから仕方ないんですが、我が理想の男子像からは、悲しいかな、かけ離れています。他所さまの立派なご子息を見て、羨ましい、とつい思ってしまう。そう思ってしまう自分は母親としてダメダメだと葛藤する。
いやほんと、何故?なんです。親である私たちが、そんなに苦労しないでも出来た事や、ちょっと頑張れば出来きたことが、何故この子にはできないんだろう?って。何でこうも違うんだろう?って。
でもね、そんなうちの子にも、ささやかながらいいところはあるんです。優しくて人の気持ちを汲めるところ。そんな彼のいいところを、いいなと認めてくれる人たちに出会って、自己肯定感を持てる環境で、彼なりの強みを活かして生きていってほしい。きっとAさんも、思いは同じではないかしら、と想像しています。
息子が小2のとき、こんなことがありました。
用務員のおじさんがトイレの掃除をしているところに息子が入って来たそうです。そして息子、用務員のおじさんに、「いつもありがとうございます。」と言ったそうな。用務員のおじさん、その言葉が嬉しくて、そのあと校長先生のところに行き、◯◯くんがこんな言葉を掛けてくれました、と報告したそうです。
ここまで聞いて私はビックリ。普段、人と話すことが苦手で、挨拶もロクできない子なのに、よくそんな言葉が掛けられたなあ、と信じられませんでした。(人違いだったりして。笑)
そして、その話を聞いた校長先生が大変喜んでくださって、朝礼のとき、全校生徒の前でその話をし、息子のことを褒めてくれたそうです。
ところが、こんなときに限って、我が息子、インフルエンザで学校を休んでおりました。せっかく全校生徒の前で褒められる場に本人がいないなんて。ホント、間が悪いったら。
さらにもっと親バカ話ですが、ついこの前もこんなこともありました。
朝の苦手な息子、その日もいくら起こしても目が覚めず、遅刻寸前で家を飛び出して行きました。そして暫くして息子から電話。音楽の授業で必要なサックスを忘れたと。
「えっ、また〜っ!もーっ ;´ρ`)」
プンプンしながら学校まで届けに行きました。(息子の学校では、受付で忘れ物を預かって子供に連絡が入る仕組み。私、子供の忘れ物には甘く、つい届けに行ってしまいます...。)
その数時間後、また息子から電話。今度は何かと思いきや、
「サックスありがと。」と息子。
この「ありがと。」が、私にはすっごく嬉しかった。
だって、こういうときの「ありがとう」って、親だと照れくさくて言えなかったりしませんか?持って来てもらって当たり前、くらいにしか思ってないだろうと思っていたので。
超バカバカしい親バカと思われるかもしれないけれど、そんなところが、ささやかながら彼の良さのひとつだな、と思っています。
とはいえ、相変わらずゆっくりな息子を見て、やっぱりダメチンだなーと思ってしまう。宿題やったか、テスト勉強はしてるか、学校はどうだったか、と確認作業をしてしまう。
そんな私を戒めるような曲を、Aさんのお友達がシェアしていらっしゃいました。それを聞いて私、号泣!涙が止まらなくなってしまいました。息子の心の声に聞こえたんです。きっと皆さんの心にも響くのではないかと思うので、シェアさせていただきます。こちらです。
↓↓↓↓↓↓
Proud Of Your Boy - In Studio With Alan Menken ...
歌詞はこちら:Proud Of Your Boy - Disney Wiki
日本語に訳してくださった方がいます:
http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n326802
どんな子供も、親に喜んでもらいたくて、一生懸命に頑張ってるんですよね。その子供なりに。
それなのに、「ちゃんとやってる?頑張ってる?」っていちいち確認されたらイヤになっちゃうに決まってます。親は我慢くらべのように、その衝動にグッと堪えないといけないんですね。
子供を信じて。自分のことを100%信じてくれている親が、白い紫陽花のように(笑)どんな色でもそのまま受け入れてくれる寛容な心で、辛抱強く見守ってくれていると思えばこそ、子供も頑張れるはずですね。
素敵なお話を聞かせてくれたAさんと、この曲を教えてくださった方に本当に感謝しつつ、私の母親業をハラハラで特別に味のあるモノにしてくれている我が子にも感謝した、そんな母の日のお話でした〜。
ヒトもカメも
先週は、春爛漫のセントラルパークでフォトツアーを開催しました。
参加者はお友達とそのまたお友達という和気あいあいとした面子。絵になるフォトスポットや、ランドスケープを撮る際に意識するとよいポイントなどミニレッスンしつつ、公園の中を散策。春を満喫しました。
大の字、きんもちよさそ〜!
カメさんもね、みんな日向ぼっこしたくなるわけだよ。このお陽気だもの。
新郎新婦と神父さんだけの結婚式に遭遇。
2人だけの結婚式、素敵。誓いの言葉の後、通りがかりの人たちから拍手が起こりました。
撮影後、Tavern on the Greenでランチ。
サーモンバーガー。美味しかった〜!
参加者の皆さんからはカメラの扱いや構図について熱心に質問をいただき、散策しながらの撮影を楽しんでいただけた様子です。
「少しの工夫でかなり写真の印象が変わることに驚きました!」との嬉しいコメントもいただきました。
好評につき、第2弾として6月にブルックリンのDUMBOフォトツアーを企画中です!
Welcome Spring!
ご近所のおうちの庭の木に、こんなかわいい巣箱が掛かっているのを見つけました。
"Welcome"と手書きで書かれた文字に、思わずホッコリ。
Welcome Spring!
ニューヨークはまさに春爛漫です。
天国から見る桜
やっとニューヨークにも春が訪れました。
青空に桜色。こんなにも人を幸せな気分にさせる色の組み合わせって、ほかにあるかしら。
ちょっとセンチメンタルな話になりますが、この季節になると、亡くなった父のことをよく考えます。
病床で「桜はまだか」と開花を待ちこがれていた父。あの冬は日本は厳冬で、癌で骨と皮になってしまった父にはひと際寒さが堪えていました。そして、3月末、開花を目前に逝ってしまった父。あれから3年が経ちました。
最近、写真のバックアップ用に、MyShoeboxというクラウドアプリを試しているのですが、このアプリ、サービス精神が旺盛で、1年前の今日の写真とか2年前の今日の写真とかを勝手に表示してくれる。大概の場合は「おお、2年前の今頃はこんなこともあったなー」と楽しめるのですが、先日、父の葬儀のときの写真が表示されて、胸がキュンと痛みました。楽しい思い出ばかりじゃないからね、こういうサービスも善し悪しじゃないかな。設定で変えられるのかしら?
あの年はニューヨークが逆に暖冬で、3月には花が満開になった珍しい年でした。早々の春の訪れは嬉しいものの、あと1・2ヶ月という余命を言い渡されていた父のことを思うと浮かれた気持ちにもなれず、重苦しい思いで花を見ていたのを思い出します。子供たちの春休みには帰国する予定でいたので、それまで待っていて、と祈るような気持ちで過ごしていましたが、帰国予定の2週間前に危篤の連絡を受け、結局、父の最期には間に合いませんでした。ニューヨークからのフライトの長いこと。海外に暮らすものの宿命ですね。
亡くなる前の年の夏休みに帰省したのですが、その時が父と過ごした最後の日々となりました。1ヶ月ほど一緒に過ごしてニューヨークに戻る成田行きのリムジンに乗る前に、これが最後になるかもしれないと目に焼き付けた父の姿。YCAT(横浜の空港行きバスターミナル)に向かうタクシーの中で、隣に座るのも最後になるかもしれないのに、どんな言葉を掛けたらいいか分からなくて無言で過ごしてしまったこと。そんなことなどを思い出します。あの時、父も黙ったままだったけど、同じ気持ちだったのかもしれません。
一番の後悔は、父の亡くなる1ヶ月前のできごと。
朝の4時に電話が鳴り、何ごとかと思って出たら、父だった。
「みんな元気か?」細くなったけど、まだはっきりした声だった。
「元気だよ。でもみんな寝てるよ。朝の4時だもん。」
そう言って、しまった!と思いました。が、すでに時遅し。時差でとんでもない時間に掛けたことに気づいた父は、「おお、そんな時間か。それは悪かった、悪かった。」とそそくさと電話を切ってしまったのでした。
ああ、どうしてあの時、朝4時だと告げてしまったんだろう。そんなこと何も言わずに、いっぱい、いっぱい話しをすればよかった。父はよほど私たちの声を聞きたくて、病床から掛けてきたというのに、バカだったよ、私...。
父が亡くなった直後は、海外にいて何もしてあげられなかったことを悔いていましたが、今思うと、もっともっと頻繁に電話してあげればよかったなーと思います。どこにいてもできること。時差があって、いつも掛けそこなっていましたが...。それが一番の後悔。
皆さんも親御さんが離れたところで暮らしていらっしゃるようでしたら、是非いっぱい電話してあげてくださいね。メールとか便利で簡単ですけど、生の声を聞かせてあげるのが一番です。スカイプやフェースタイムができるなら、尚更いいと思います。
そんなことを、桜を見上げながら思いました。
もしかしたら今頃、父も天国からニューヨークの桜を見ているかもしれないな。
どう?パパ、天国から見下ろすニューヨークの桜は?
特にネタのない1日でしたが...
前回、前々回と、人に今まで言わないでいたことを、勇気を出して真剣に書いてみたら、えらくエネルギーを消耗してしまいました(笑)。なので、今日はサラッといきたいと思います。
急に気温が上がって、1週間前の大雪がウソのように解けてなくなったマンハッタン。
今日は、雲ひとつない、真っ青な青空が広がりました。
ほんとに雲が一つもないよ!
毎週木曜日は写真のワークショップに通っています。唯一の自分のための時間。
チェルシーにある写真の師匠のスタジオは、26丁目とハイラインの近く。
ハイラインにある、このフレームを見上げたとき、空のあまりの青さに、思わず足を止めてしまいました。
このフレームの中に、鳩とか飛行機とか入ったらシャッターを切ろうとiPhoneを構えてしばらく待ちましたが、ワークショップに遅れそうだったから諦めた。
雪がまだ残るロングアイランドから久々にマンハッタンに出た私は、マンハッタンにも雪解け水でヒドイ水たまりができてるかもしれないと思い、このお天気なのにレインブーツを履いてまして。
ぜんぜん平気だった...。田舎っぺだったわ、私。
ワークショップの帰り道。リバーサルなワンちゃんたちに出会いました!
最近、ウエストサイドの開発がすごいです。Manhattan Westっていう、新しいディストリクトができるそうな。なんだかすごいっぽいよ。
しかし、午後になってもこの青空。雲一つない青空が1日中続くなんて、NYでは本当に珍しい!
お腹がすいちゃったので、駅に着いたら、ふら〜っとこんなお店に立ち寄ってしまったけど、
我慢して、スタバのコーヒーだけにした。
ココナッツミルクを扱うようになったと掲示板に。
最近は、アーモンドミルクやココナッツミルクが人気。
スーパーでも売り場がどんどん拡大しています。
今日はこんな感じの、特筆すべきことの見あたらないフツーの1日で、
一番際立っていたのは青空でした。
おしまいです。
一滴の役割(ウチの親子関係の危機を救った言葉)
一つ前のエントリー『場面緘黙症と生きる』で場面緘黙症の息子のことを初めて書いたところ、たくさんの方から温かいメッセージをいただき、とても励まされました。ありがとうございます。
こういう特徴を持って生きている子供を持つことの苦しさや不安。つい自分の心の中だけに抱え込みがちだったけれど、でも思い切ってそれをさらけ出すことで、同じ悩みを持つ方と思いを共有できたらいいなと思っています。戦っているのは自分ひとりでないと思えば随分救われます。心が揺れる日も、それを受け止めてくれる友がいると知れば、落ち着きます。心が穏やかでなければ、我が子の「ありのまま」を受け入れるなんて、ムリですもんね。
息子が掛かっている児童精神科の先生のおっしゃった言葉で、私の心に刻んでいる言葉があるので、今日は是非それをシェアしたいと思います。子育て中の方であれば、きっと皆に響く言葉だと思うので。
まずは、その言葉をいただくきっかけとなった背景なのですが...
1年くらい前のこと、家庭内でのあるできごとをきっかけに、うちの夫と息子の関係が悪化した時期がありました。ティーンエイジャーならではの反抗心と夫の短気さ・頑固さが事態を拗らせ、息子は自分の父親を避けるようになり、口もきかず、言いたいことは全て私を通そうとする。夫も頑にそれを許すまいとする。
息子がセラピーを受けている児童精神科の先生にそのことを相談すると、どんなセラピーを施すよりも、まずは二人の関係を改善することが先だと強調されました。確かに親子関係が良好でないと、ただでさえ情緒不安定な息子の心がますます不安定になり、その状態にいくらセラピーを実施しても効果は薄くなるであろうことは、私にも容易に想像できました。また、時間が経つと関係修復が尚さら難しくなるとの先生の言葉は、私には恐怖でした。家族なのに、こんなギスギスした状態がずっと続くなんて耐えられない!
関係改善のために夫がどのように息子と接するべきか、先生から聞いたことを私が夫に伝えるのですが、私の口から聞いたのでは夫も真剣に受け取ってくれない。やがて先生もそれに気づき、とにかく15分でいいから夫と直接話しをする時間を取ってくれとおっしゃる。仕事が抜けられないと言う夫を説得してなんとか設けたミーティングは、15分のつもりが1時間近くに及びました。
そこで言われたことのポイントは、とにかく語りかける、こと。たわいもないことでいい。たわいもないことのほうがいい。あれしたか?これしたか?と確認しない。遊びに誘う。TVを一緒に見るとかでなく、外に息子を連れ出して一緒に何かをする。.....言われていることは極めて単純なこと。
「でも、聞く耳を持とうともしないんです。」と夫。
「そう、無視するでしょうね。岩のように頑に心を閉ざしてしまっているんですね。でも続けてください。拒絶されても、諦めずに続けてください。岩に落ちる一滴の水は、何の変化も起こさないように見えるでしょう。でも一滴、また一滴と水が落ち続けたら、岩も形を変えていくでしょう。尖った岩も丸くなっていきますよ。」
この言葉は、夫の心にも刺さったようです。それからは、彼も先生の指示通り、根気よく努力を続けてくれました。最初は手がつけられないほど頑だった息子の態度も次第に軟化して、今では、あのギスギス感は完全になくなり、1年後には、100%とまでは行かないまでも、ほぼ元の2人の関係にまで戻ることができたました。本当にあの言葉を添えてくれた先生に感謝するばかりです。
子育てしていると、親の根気とか忍耐力を試されているなあ、と思わずにはいられない状況に頻繁に遭遇しますよね。でも、日常のしつけであれ、なんであれ、良かれと思うことならば、スルーされても、変化がすぐに見えなくても、信念を持って諦めずに続けることって大事なんだなあ、と気づかせてくれた言葉でした。
小さな一滴は、決して無駄な一滴ではないってこと、みなさんにも、当てはまるような状況があったら、ぜひ思い出してみてくださいね。
場面緘黙(ばめんかんもく)症と生きる
一昨日、久しぶりに会った友達と、先日のアカデミー賞授賞式での受賞者たちのスピーチの話題になりました。今年は社会問題にスポットをあてたスピーチが多くて、中でもパトリシア・アークエットが男女間の賃金格差の是正を訴えたスピーチがえらく話題になったけれど、あのような場に立つ女優さんに、あのような場で賃金格差の話をされても、ハッキリ言って違和感だらけだったよね、なんて言って2人で笑いました。
そんな中、『イミテーション・ゲーム』で最優秀脚色賞を受賞したグラハム・ムーアのスピーチは、かなり響いた。16才のときに自殺未遂をしたことを告白し、そんな自分にも今は居場所がある、と語った彼のスピーチは、各種メディアで最も感動的だったと評価され、日本語にも訳されているのを目にした方も多いと思います。
"Stay weird" "Stay different"(変なままでいい。皆と違っていていい。)
この言葉を聞いて考えたのは我が子のこと。彼もいつかは自分の居場所を見つけて、自分の好きなことで力を発揮できる、そんな日が来るといいんだけど。
それにしても、なぜ我が子が「皆と違うこと」に、親はこんなにも不安を感じてしまうんだろう。
うちには場面緘黙(ばめんかんもく)症の息子がいます。
場面緘黙症って何?と思われることでしょう。家庭など慣れた環境では話すことができるのに、特定の場面や状況では、不安や恐怖心から全く話すことができなくなる症状のことで情緒障害のひとつ。幼児期に発症することが多いのだけど、単に引っ込み思案で大人しい子と思われて、気がつかれないことが多い。大きくなれば変わる、と放っておくと成人になっても改善せず、社会生活に支障をきたすようになるそうです。
しゃべれない。聞かれても応えられない。注目されたり、話すことを強いられると硬直してしまう。輪の中に入れない・居られない。友達がつくれない。とにかく変わった子。
息子の場面緘黙症に気づいたのは、ニューヨークの学校に転校して2年目、4年生のときでした。担任の先生に「しゃべれないのは英語だけの問題じゃないと思う。検査してみては?」と言われたのがきっかけでした。実は日本にいるときから言葉の遅れや情緒不安定なことには気づいていたのですが、ゆっくりと成長してるだけ、個性のうち、と発達障害の可能性を認められないでいた私。検査の結果、「Selective Mutism(場面緘黙症)です。言葉の遅い子、バイリンガルの環境にある子供に発症することが多いのですが、彼の場合は両方の要因がありますからね。早く対処しないと大きくなればなるほど改善が難しくなります。」と言われたときは、愕然としました。
それから週1回、セラピーに通う日々が始まりました。様々な恐怖症を克服するのと同じで、苦手な状況に少しずつ晒されることで慣れていく訓練。不慣れな人とは目を合わすことも挨拶することもできなかった息子が、トイレの場所を聞いたり、レストランでオーダーできるようになるまで2年は掛かったでしょうか。14才の今なお課題は残っているので、隔週で通っています。
友達作りは苦手だけど、友達はほしい息子。セラピーの他、時間があれば、クラスメートの男の子たちを家に呼びました。親がセットアップしてやることで仲良く遊べる子もでき、ホッとするのですが、それも束の間、一緒に遊んでも退屈と思われるのか、やがて去られてしまう。定着しない。
それで息子と同じくらい私も傷つきます。でも、度重なるリジェクションにも親がヘコんでいてはいけないと思い直し、また誘い。しかしある時、ある男の子に「今度うちに遊びにおいで」と声を掛けたら、"Well, I'll think about it." (うーん、考えとくよ)との答え。この言葉にいよいよ私も打ちのめされ、それを最後に誰も誘うことができなくなってしまいました。
でも、幸いイジメに合うこともなく、登校拒否になることもなく、中学校に上がってからは部活にも参加するようになったのがせめてもの救い。最近になってようやく、よく遊びに誘ってくれる友達ができ、今日はそのお友達の誕生日のお祝いで、アイスホッケーのゲームを見て来た息子でした。
こんな変わりものの息子を受け入れてくれた友達に感謝。どうかこの友情が続きますように。祈るような気持ちで見守っている母です。
"Stay weird" "Stay different"(変なままでいい。皆と違っていていい。)
この言葉を信じる勇気を持とう。ありのままの我が子を愛し、そっと見守り続けよう。それが母親としての私の役割だと言い聞かせながら。