天国から見る桜
やっとニューヨークにも春が訪れました。
青空に桜色。こんなにも人を幸せな気分にさせる色の組み合わせって、ほかにあるかしら。
ちょっとセンチメンタルな話になりますが、この季節になると、亡くなった父のことをよく考えます。
病床で「桜はまだか」と開花を待ちこがれていた父。あの冬は日本は厳冬で、癌で骨と皮になってしまった父にはひと際寒さが堪えていました。そして、3月末、開花を目前に逝ってしまった父。あれから3年が経ちました。
最近、写真のバックアップ用に、MyShoeboxというクラウドアプリを試しているのですが、このアプリ、サービス精神が旺盛で、1年前の今日の写真とか2年前の今日の写真とかを勝手に表示してくれる。大概の場合は「おお、2年前の今頃はこんなこともあったなー」と楽しめるのですが、先日、父の葬儀のときの写真が表示されて、胸がキュンと痛みました。楽しい思い出ばかりじゃないからね、こういうサービスも善し悪しじゃないかな。設定で変えられるのかしら?
あの年はニューヨークが逆に暖冬で、3月には花が満開になった珍しい年でした。早々の春の訪れは嬉しいものの、あと1・2ヶ月という余命を言い渡されていた父のことを思うと浮かれた気持ちにもなれず、重苦しい思いで花を見ていたのを思い出します。子供たちの春休みには帰国する予定でいたので、それまで待っていて、と祈るような気持ちで過ごしていましたが、帰国予定の2週間前に危篤の連絡を受け、結局、父の最期には間に合いませんでした。ニューヨークからのフライトの長いこと。海外に暮らすものの宿命ですね。
亡くなる前の年の夏休みに帰省したのですが、その時が父と過ごした最後の日々となりました。1ヶ月ほど一緒に過ごしてニューヨークに戻る成田行きのリムジンに乗る前に、これが最後になるかもしれないと目に焼き付けた父の姿。YCAT(横浜の空港行きバスターミナル)に向かうタクシーの中で、隣に座るのも最後になるかもしれないのに、どんな言葉を掛けたらいいか分からなくて無言で過ごしてしまったこと。そんなことなどを思い出します。あの時、父も黙ったままだったけど、同じ気持ちだったのかもしれません。
一番の後悔は、父の亡くなる1ヶ月前のできごと。
朝の4時に電話が鳴り、何ごとかと思って出たら、父だった。
「みんな元気か?」細くなったけど、まだはっきりした声だった。
「元気だよ。でもみんな寝てるよ。朝の4時だもん。」
そう言って、しまった!と思いました。が、すでに時遅し。時差でとんでもない時間に掛けたことに気づいた父は、「おお、そんな時間か。それは悪かった、悪かった。」とそそくさと電話を切ってしまったのでした。
ああ、どうしてあの時、朝4時だと告げてしまったんだろう。そんなこと何も言わずに、いっぱい、いっぱい話しをすればよかった。父はよほど私たちの声を聞きたくて、病床から掛けてきたというのに、バカだったよ、私...。
父が亡くなった直後は、海外にいて何もしてあげられなかったことを悔いていましたが、今思うと、もっともっと頻繁に電話してあげればよかったなーと思います。どこにいてもできること。時差があって、いつも掛けそこなっていましたが...。それが一番の後悔。
皆さんも親御さんが離れたところで暮らしていらっしゃるようでしたら、是非いっぱい電話してあげてくださいね。メールとか便利で簡単ですけど、生の声を聞かせてあげるのが一番です。スカイプやフェースタイムができるなら、尚更いいと思います。
そんなことを、桜を見上げながら思いました。
もしかしたら今頃、父も天国からニューヨークの桜を見ているかもしれないな。
どう?パパ、天国から見下ろすニューヨークの桜は?
特にネタのない1日でしたが...
前回、前々回と、人に今まで言わないでいたことを、勇気を出して真剣に書いてみたら、えらくエネルギーを消耗してしまいました(笑)。なので、今日はサラッといきたいと思います。
急に気温が上がって、1週間前の大雪がウソのように解けてなくなったマンハッタン。
今日は、雲ひとつない、真っ青な青空が広がりました。
ほんとに雲が一つもないよ!
毎週木曜日は写真のワークショップに通っています。唯一の自分のための時間。
チェルシーにある写真の師匠のスタジオは、26丁目とハイラインの近く。
ハイラインにある、このフレームを見上げたとき、空のあまりの青さに、思わず足を止めてしまいました。
このフレームの中に、鳩とか飛行機とか入ったらシャッターを切ろうとiPhoneを構えてしばらく待ちましたが、ワークショップに遅れそうだったから諦めた。
雪がまだ残るロングアイランドから久々にマンハッタンに出た私は、マンハッタンにも雪解け水でヒドイ水たまりができてるかもしれないと思い、このお天気なのにレインブーツを履いてまして。
ぜんぜん平気だった...。田舎っぺだったわ、私。
ワークショップの帰り道。リバーサルなワンちゃんたちに出会いました!
最近、ウエストサイドの開発がすごいです。Manhattan Westっていう、新しいディストリクトができるそうな。なんだかすごいっぽいよ。
しかし、午後になってもこの青空。雲一つない青空が1日中続くなんて、NYでは本当に珍しい!
お腹がすいちゃったので、駅に着いたら、ふら〜っとこんなお店に立ち寄ってしまったけど、
我慢して、スタバのコーヒーだけにした。
ココナッツミルクを扱うようになったと掲示板に。
最近は、アーモンドミルクやココナッツミルクが人気。
スーパーでも売り場がどんどん拡大しています。
今日はこんな感じの、特筆すべきことの見あたらないフツーの1日で、
一番際立っていたのは青空でした。
おしまいです。
一滴の役割(ウチの親子関係の危機を救った言葉)
一つ前のエントリー『場面緘黙症と生きる』で場面緘黙症の息子のことを初めて書いたところ、たくさんの方から温かいメッセージをいただき、とても励まされました。ありがとうございます。
こういう特徴を持って生きている子供を持つことの苦しさや不安。つい自分の心の中だけに抱え込みがちだったけれど、でも思い切ってそれをさらけ出すことで、同じ悩みを持つ方と思いを共有できたらいいなと思っています。戦っているのは自分ひとりでないと思えば随分救われます。心が揺れる日も、それを受け止めてくれる友がいると知れば、落ち着きます。心が穏やかでなければ、我が子の「ありのまま」を受け入れるなんて、ムリですもんね。
息子が掛かっている児童精神科の先生のおっしゃった言葉で、私の心に刻んでいる言葉があるので、今日は是非それをシェアしたいと思います。子育て中の方であれば、きっと皆に響く言葉だと思うので。
まずは、その言葉をいただくきっかけとなった背景なのですが...
1年くらい前のこと、家庭内でのあるできごとをきっかけに、うちの夫と息子の関係が悪化した時期がありました。ティーンエイジャーならではの反抗心と夫の短気さ・頑固さが事態を拗らせ、息子は自分の父親を避けるようになり、口もきかず、言いたいことは全て私を通そうとする。夫も頑にそれを許すまいとする。
息子がセラピーを受けている児童精神科の先生にそのことを相談すると、どんなセラピーを施すよりも、まずは二人の関係を改善することが先だと強調されました。確かに親子関係が良好でないと、ただでさえ情緒不安定な息子の心がますます不安定になり、その状態にいくらセラピーを実施しても効果は薄くなるであろうことは、私にも容易に想像できました。また、時間が経つと関係修復が尚さら難しくなるとの先生の言葉は、私には恐怖でした。家族なのに、こんなギスギスした状態がずっと続くなんて耐えられない!
関係改善のために夫がどのように息子と接するべきか、先生から聞いたことを私が夫に伝えるのですが、私の口から聞いたのでは夫も真剣に受け取ってくれない。やがて先生もそれに気づき、とにかく15分でいいから夫と直接話しをする時間を取ってくれとおっしゃる。仕事が抜けられないと言う夫を説得してなんとか設けたミーティングは、15分のつもりが1時間近くに及びました。
そこで言われたことのポイントは、とにかく語りかける、こと。たわいもないことでいい。たわいもないことのほうがいい。あれしたか?これしたか?と確認しない。遊びに誘う。TVを一緒に見るとかでなく、外に息子を連れ出して一緒に何かをする。.....言われていることは極めて単純なこと。
「でも、聞く耳を持とうともしないんです。」と夫。
「そう、無視するでしょうね。岩のように頑に心を閉ざしてしまっているんですね。でも続けてください。拒絶されても、諦めずに続けてください。岩に落ちる一滴の水は、何の変化も起こさないように見えるでしょう。でも一滴、また一滴と水が落ち続けたら、岩も形を変えていくでしょう。尖った岩も丸くなっていきますよ。」
この言葉は、夫の心にも刺さったようです。それからは、彼も先生の指示通り、根気よく努力を続けてくれました。最初は手がつけられないほど頑だった息子の態度も次第に軟化して、今では、あのギスギス感は完全になくなり、1年後には、100%とまでは行かないまでも、ほぼ元の2人の関係にまで戻ることができたました。本当にあの言葉を添えてくれた先生に感謝するばかりです。
子育てしていると、親の根気とか忍耐力を試されているなあ、と思わずにはいられない状況に頻繁に遭遇しますよね。でも、日常のしつけであれ、なんであれ、良かれと思うことならば、スルーされても、変化がすぐに見えなくても、信念を持って諦めずに続けることって大事なんだなあ、と気づかせてくれた言葉でした。
小さな一滴は、決して無駄な一滴ではないってこと、みなさんにも、当てはまるような状況があったら、ぜひ思い出してみてくださいね。
場面緘黙(ばめんかんもく)症と生きる
一昨日、久しぶりに会った友達と、先日のアカデミー賞授賞式での受賞者たちのスピーチの話題になりました。今年は社会問題にスポットをあてたスピーチが多くて、中でもパトリシア・アークエットが男女間の賃金格差の是正を訴えたスピーチがえらく話題になったけれど、あのような場に立つ女優さんに、あのような場で賃金格差の話をされても、ハッキリ言って違和感だらけだったよね、なんて言って2人で笑いました。
そんな中、『イミテーション・ゲーム』で最優秀脚色賞を受賞したグラハム・ムーアのスピーチは、かなり響いた。16才のときに自殺未遂をしたことを告白し、そんな自分にも今は居場所がある、と語った彼のスピーチは、各種メディアで最も感動的だったと評価され、日本語にも訳されているのを目にした方も多いと思います。
"Stay weird" "Stay different"(変なままでいい。皆と違っていていい。)
この言葉を聞いて考えたのは我が子のこと。彼もいつかは自分の居場所を見つけて、自分の好きなことで力を発揮できる、そんな日が来るといいんだけど。
それにしても、なぜ我が子が「皆と違うこと」に、親はこんなにも不安を感じてしまうんだろう。
うちには場面緘黙(ばめんかんもく)症の息子がいます。
場面緘黙症って何?と思われることでしょう。家庭など慣れた環境では話すことができるのに、特定の場面や状況では、不安や恐怖心から全く話すことができなくなる症状のことで情緒障害のひとつ。幼児期に発症することが多いのだけど、単に引っ込み思案で大人しい子と思われて、気がつかれないことが多い。大きくなれば変わる、と放っておくと成人になっても改善せず、社会生活に支障をきたすようになるそうです。
しゃべれない。聞かれても応えられない。注目されたり、話すことを強いられると硬直してしまう。輪の中に入れない・居られない。友達がつくれない。とにかく変わった子。
息子の場面緘黙症に気づいたのは、ニューヨークの学校に転校して2年目、4年生のときでした。担任の先生に「しゃべれないのは英語だけの問題じゃないと思う。検査してみては?」と言われたのがきっかけでした。実は日本にいるときから言葉の遅れや情緒不安定なことには気づいていたのですが、ゆっくりと成長してるだけ、個性のうち、と発達障害の可能性を認められないでいた私。検査の結果、「Selective Mutism(場面緘黙症)です。言葉の遅い子、バイリンガルの環境にある子供に発症することが多いのですが、彼の場合は両方の要因がありますからね。早く対処しないと大きくなればなるほど改善が難しくなります。」と言われたときは、愕然としました。
それから週1回、セラピーに通う日々が始まりました。様々な恐怖症を克服するのと同じで、苦手な状況に少しずつ晒されることで慣れていく訓練。不慣れな人とは目を合わすことも挨拶することもできなかった息子が、トイレの場所を聞いたり、レストランでオーダーできるようになるまで2年は掛かったでしょうか。14才の今なお課題は残っているので、隔週で通っています。
友達作りは苦手だけど、友達はほしい息子。セラピーの他、時間があれば、クラスメートの男の子たちを家に呼びました。親がセットアップしてやることで仲良く遊べる子もでき、ホッとするのですが、それも束の間、一緒に遊んでも退屈と思われるのか、やがて去られてしまう。定着しない。
それで息子と同じくらい私も傷つきます。でも、度重なるリジェクションにも親がヘコんでいてはいけないと思い直し、また誘い。しかしある時、ある男の子に「今度うちに遊びにおいで」と声を掛けたら、"Well, I'll think about it." (うーん、考えとくよ)との答え。この言葉にいよいよ私も打ちのめされ、それを最後に誰も誘うことができなくなってしまいました。
でも、幸いイジメに合うこともなく、登校拒否になることもなく、中学校に上がってからは部活にも参加するようになったのがせめてもの救い。最近になってようやく、よく遊びに誘ってくれる友達ができ、今日はそのお友達の誕生日のお祝いで、アイスホッケーのゲームを見て来た息子でした。
こんな変わりものの息子を受け入れてくれた友達に感謝。どうかこの友情が続きますように。祈るような気持ちで見守っている母です。
"Stay weird" "Stay different"(変なままでいい。皆と違っていていい。)
この言葉を信じる勇気を持とう。ありのままの我が子を愛し、そっと見守り続けよう。それが母親としての私の役割だと言い聞かせながら。
ニューヨーカーの帽子に注目してみた
今日も寒い一日でした。
日中の気温16°F、ということは摂氏でいうと、約−9℃。明日はもっと寒くなるようです。
普段あまり帽子を被らない私ですが(軟毛で髪がペチャンコになっちゃうのが嫌なもんで)、さすがにこのニューヨークの寒さは、帽子なしではムリ。ニューヨークの冬を過ごして初めて、頭を暖かくすると寒さの感じ方が全然違うことを知りました。
今日は、極寒のニューヨークを歩くニューヨーカーたちの、帽子ファッションに着目してみましたよ。
シンプル。
スイート。
グルメ・ガレージでお買い物したね。
オシャレなママ。
多分、観光客。
クール。
ワンちゃんと方向性は同じ。
上のワンちゃんとお揃い。
2つ上の方と色違いのコート?
頭熱足熱!
寒そうでしょ〜。この寒さ、まだまだ続きます。
子供の成長・親の成長
先日のエントリー(娘の自動車教習始まる!車で通学するアメリカの高校生たち)で、「子供の成長って早い!残された子育ての時間、母もガンバらなくちゃ」という旨の言葉でブログを締めくくりましたが、それで一つ思い出した出来事があったので(ま、些細な失敗談ですけれど)、今日はそのことについて書こうと思います。
よく、子育てを通して親も成長する、と言われます。確かに、何年子育てをやっていても、未体験ゾーンは常に目の前に存在し、悩みどころは変わっても、悩みが絶えることはなく、日々変化していく子育てのステージを通して、多くのことを親として学んでいるのは事実。
その学びを明日の子育てに生かせてこそ、本当の意味で親も成長したといえるのでしょうが、私の場合、これはNGと学んだはずの失敗を、ああ、またやってしまった〜(全く成長していない〜!)と繰り返してしまうことが、多々あります。例えば、感情のコントロール。子供をしかるとき、感情を押さえ切れずに余計なことを言い過ぎてしまう失敗。これは未だによくやってしまう。
子供たちがティーンになって親離れし始めた最近、この調子では、自分が親として成長しきれないうちに子育て終わっちゃうかも、という気がし始め、ちょっとコワくなったりする。完璧な親などいないと思うし、少々「雑」な子育てもあっていいと思うけど、「こうしたほうがいい」と学んだことは「今」すぐ実行していかないと、明日から、などと思っていると手遅れになりかねないぞ、と意識するようになりました。何気ない日常生活を通して、無意識に繰り返している自分の日々の言動や思考パターンが、良くも悪くも、すでに我が子たちにかなり刷り込まれていると思うけれど、1個の人間を完成させるのにまだもう少し時間があるなら、1日でも多くより良い母親になって責任を果たしたいものだ、と思う今日この頃。
昨年の年末のこと。毎年12月には子供たちの学校でウインター・コンサートというのがあり、平日の夜、3日に渡ってオーケストラやジャズバンド、コーラスのパフォーマンスが発表されるのですが、中学の選択科目で音楽を取り、サックスを吹いている息子は、バンドのメンバーとして2日目に出演日することになっていました。
実は1年前、この学校のコンサートで大失敗した息子。それも演奏以前の問題。なんと、出演日を間違えて、本番を無断欠席してしまったのです。
当事者のくせに、コンサートの日を誤認していた息子も息子(授業中、寝てるのか?!)。しかし、毎年のことなのに、ノーチェックだった私も責任を感じ。いつもは親にも学校からの案内が来るのに、メールが届かなかったのか、私が見逃したのか、「あれ、そういえば、そろそろでは?」と思って、学校のウエブサイトでチェックしたら、数日前に終わっていたのでした...。そんなわけで、もちろん成績にも影響しましたよ。
そんなことがあったので、今回は、万全を期しました。 早くからスケジュールをチェックし、ステージ用の服と靴をそろえ、当日は、早めに夕飯を終わらせて、夜7時の集合時間まで、余裕でした。会場は息子の中学ではなく、同じ学区の高校のコンサートホール。息子を送り届けて、私は早めに会場に入り、いい席を確保して開演までゆっくり待つつもりでした。車で5分で着くけど、15分前には出よう。今回は完璧だ!
「さあ、そろそろ行こう!」と息子に声を掛けたそのとき、
「ママ、サックス、学校に置いて来ちゃった。」
「えええーーーっ!」(((( ;°Д°))))
中学校の音楽室のロッカーに置き忘れて帰ったらしい。会場は高校だと言うのに。
なぜ、この場に及んで!な、なんでーーー?!
息子をどう罵倒したかは、ご想像にお任せします。
とにかく腹が立って腹がたって。なんでそんなに抜けているの!ヤル気あんの?!
しかし。息子も抜けているが、私も抜けている。息子の帰宅後、肝心の楽器がそこにあるかどうかを、なぜ最初に確認しなかったのか。早く気づけば、学校に取りに行くこともできたのに。...と息子への怒りが次第に自分への怒りに変わり、それをガーーーッと一気に息子にぶつけていました。かなりしつこく。完全なる八つ当たり。
「ああ、私、またやっちゃってる。」と気づいたけれど、これ始まっちゃうと、頭ではわかっていても、途中で止められなくなるんですよね、私...。
取りあえず楽器を持たないまま会場に向かい、着いてすぐ控え室の入り口にいた先生に事態を報告。すると、そばで話を聞いていた副校長先生が「大丈夫、用務員が校舎の中にまだいるから、すぐに中学校に向かって!」と言うなりすぐに携帯で連絡を取ってくれました。「まだ時間はあるよ」と音楽の先生。
中学校に着くと、ドアのそばに既に用務員さんが待機していてくれて、息子が駆けつけると同時にドアを開けて、ロッカーまで一緒に行ってくれたようす。
おかげで事なきを得、息子、無事コンサートに出演を果たすことができました。
私は、胸を撫で下ろすと同時に、先生方が誰1人として怒ることなく対応してくれたことが驚きでした。
絶対に怒られると思っていたのです。さらには、こんな直前まで気がつかない親も親、と呆れられるのではないかと。子供のように、それを恐れていた自分が恥ずかしくなりました。
考えてみれば、ロッカーに物を忘れて帰るなんて誰でもやりそうなこと。どうするべきだったかは本人が一番、痛いほどわかっているのだから、一発怒やしたあとは(笑)さっさと怒りを収めて、冷静に善処すればよいだけのことだったのですよね。本番で気持ちよく楽しく演奏できるように。このコンサートのために一生懸命練習してきたんだもの。先生方の対応を見てそのことに気づき、ああ、私のやったことは、かけっこのゴール直前でコケちゃった子に、「なんでそこで転ぶのー!」と痛いところをしつこくゴシゴシした上に、心までへし折ってしまったようなもの。そして本番の時間のみならず、これまで練習してきた時間までも、苦い思い出に変えてしまうところだったんだ、とまたしても痛く反省した私でした。
こんなふうに、母親としてダメダメ振りを思いっきり発揮してしまった後は、居たたまれない気持ちでメチャクチャ落ち込みます。
そんなとき。ひとつだけ必ずやっていること。... 素直に謝る。
「ママ、さっき怒り過ぎちゃった。ごめんね。」
そして、息子のしょげた顔からポロッと笑顔がこぼれるのを見てちょっとホッとしつつ、もう二度と感情のままに怒りすぎるまい、と肝に銘じたのでした。
それにしても、中学生ともなると、音楽のスキルレベルも驚くほど高くなるものですね。美しいコンサートでした。小学校時代、あんなに音を外しまくっていたあの子供たちが...、と改めて子供の成長ぶりに感動しました。
子供の5年って、本当に目を見張るほどグーン!と成長する5年なんですね。
彫氷のショー & サイレントディスコ@セントラルパーク
バレンタインデーのセントラルパーク。
午後から雪が舞い始めましたが、寒さに負けず、アイスフェスティバルに行ってきました。
ニューヨークで彫氷の活動をしているOkamoto Studioのアーティストたち。
彼らのライブショーを是非見たくて。
制作しているのは、バレンタインデーにちなんで、愛の象徴「ロミオとジュリエット」像。
皆が息を飲んで見守る中、
「あっ!」まさかのアクシデント!
いや、これもパフォーマンス?
表面を水で濡らして再び凍らせることで、
この通り!水が接着剤代わりになるのね。
せっかくなので、全体像も。
正直、想像以上に小規模なイベントではあったけど、日本人のパフォーマンスを見るのは嬉しいもの。
この彫氷のライブショーのあと、会場はサイレント・ディスコに。
『サイレント・ディスコ』って?... って私も興味をそそられました。そもそも、「ディスコ」という言葉は死語ではないのか?
それはおいといて... 参加者が受付でヘッドフォンをもらうんです。そのヘッドフォンから流れる曲、80's, 90's...と選べるの。(年代でヘッドフォンが色分けされているから年がバレる!)
音楽はヘッドフォンからしか聞こえないから、サイレントなわけ。
なんだか不思議だけど、踊る本人が楽しければいいんだもの。若者から年寄りまで、自分世代の曲で楽しめるのはナイスではないか!
うちの家族はみんなノリが悪いので、ディスコはパスして、ご飯を食べに行きました〜。